幸せのちから
今週は実家の神社のえべっさん*1の手伝いで廃人寸前の立花です。神社をお手伝いされる方の炊き出し*2とかでクタクタであります。
asin:B000MGBS4O:detailそんな中、試写にお邪魔する機会を得たので、占い師的な感想を。
話はパンフレットに書いてあるとおり、最下層なアフロアメリカンの人が、途中、ホームレスになりながらも、エリート証券会社に勤めるまでのお話。
そんなもん、数学がもともと得意な人やったからできることやん?とかつっこみどころは置いておいて。
米国でのアフロアメリカンの地位は我々が思っているよりも遥かに低い。税金が払えないというレベルの下層な人々が成り上がれるという機会はそうそうないんですよ。それを歯を食いしばってやり遂げたというところを評価したい。
日本の配給会社はウィル・スミスと実の息子さんが演じる父子の愛情を軸に売りたいみたいですが、
この映画のみどころはそれではなく、
自分で運命を切り開ける人というのはこういうタイプの人
という目で見ていただきたい。
チャンスというのは自分で取りに行き、そして、1%でもチャンスがあるなら、それにしがみつき、頑張りきるってことなんですな。
そうすれば、自分の送りたい人生というものにたどり着くことができる。ってことです。
漫才の阪神巨人のオール巨人さんが、
面白いことを1日24時間夢の中でも考えつづける。そうすると、1日4時間仕事の中でだけ面白いことを考えつづける人よりも、1日で20時間ずつ差が開いていく。
これが毎日できるかどうかだけで、お笑いはセンスや才能ではない。
と言っていたのを思い出しました。
この映画で主人公は
「幸せの追求」について、それこそ24時間考え続けます。それが、研修中の営業での「顧客への細かい心配り」として表れたり、上司への「気配り」として表現され、結果、20人に1人という難関を突破できたのではないでしょうか。
映画のタイトルは「幸せのちから」となっていますが、もともとの原題はトーマス・ジェファーソンの「幸福の追求」という言葉から。
このタイトルをもっと生かせなかったのか、と残念なところであります。自発的な「追求」という言葉から、「ちから」という他力本願な言葉への転換は、いかにも「温室育ち」の日本人がつけたって感じですねぇ。
わたしはいつも、相談に来られる方に、
運気と人間の関係は「波とサーファーの関係」にしか過ぎない。とご説明をしています。いくらいい波が来ても、準備運動や練習をしてなければ、波を乗りこなすことは不可能です。
我々の仕事は「波がいつ来るか」また、そのためにはどういう「自主トレ」をしなければならないかというご説明をするということに尽きます。
決して、「幸せのちから」が自然に皆を幸せにするということはなく、「幸せの追求」という行動が皆を幸せに導くのです。